夏の終わり

自分はなんだかんだで学部時代5年、大学院時代1年+αボートを漕いでいた。
自分がボートを続けた理由は、引退せずに漕ぎ続けた先輩に憧れたのが一番だが、学生でいるうちは漕いで自分を高めたい、ボートで勝ちたいと思ったのも理由のひとつである。
でも悩んだこともある。
留年して漕ごうか迷った時、同じく留年して漕いだ先輩が四万十川に泳ぎに行って漕ぐのを決めたと聞いて、同じく四万十川に泳ぎに行ったことがある。不幸にもオレが行った時は台風が直撃した二日後くらいで、清流どころか濁流でしかも増水していた。泳げないオレは一瞬たじろいだが、ここで泳がなかったらはるばる来た意味がないのでとりあえず向こう岸まで泳ぐことにしたら溺れて死にかけた。でも続けることにした。
ボートを漕いでいることで他のことが中途半端になっていることーまあこれはボートが原因ではなくて自分の弱さが原因なんだが、そして続けている割には全くいい成績を残せなかったこと。オレは果たして本当にボートが好きで、勝ちたくてボートを漕いでいるのか?ただボート部の居心地がよくてダラダラと続けているんじゃないか?そういう自問自答の末に逃げ出した時もある。
でもひとりでつれづれと生活しているうちに、暇を見つけてはエルゴを漕いでいる自分がいた。そしてもう一回自分を信じてみようと思い、ボートを漕ぐことにした。
漕いだ結果、モヤモヤとしたものに決着をつけることができたかと言われればそうでもなく、逆に自分の弱さを改めて見せつけられたような気がする。でも漕いでよかったと思う。
そして今テレビでオリンピックを見る。オリンピックアスリートの情熱×時間に比べたら、自分のボートに対するそれは比較も出来ないほどちっぽけだった!
そう思えたのは悲しいことではなくむしろうれしいことだ。まだまだ自分は発展途上にある。そう思った夏の終わり。